【車旅】ルーツをたどる旅。私が生まれた島へ

井上です。私は長崎県佐世保市にある大島で生まれ、6歳になるまでその島で過ごしました。

6歳ですから、当時のことはあまりよく覚えていません。アルバムに貼ってあった写真を見たり、両親から話を聞いたりした程度です。しかし実際に現地に立つとわかることがあるかもしれないと思い、行ってみることにしました。

まず、大島について簡単にご紹介します。以下、Wikipediaの情報です。

大島(おおしま)は、長崎県中部の西彼杵半島西方にある島。全島が西海市に属する。1930年代から1970年(昭和45年)まで、炭鉱(三井松島産業大島鉱業所)からの石炭産出が島の産業の基幹となっていた。1970年の閉山後は企業誘致に努め、1972年(昭和47年)から大島造船所が操業している。現在は農漁業と大島造船所における造船が主産業。

私が住んでいたのは、1961〜1967年。当時、父は松島炭鉱株式会社に勤めていました。実家には、そのときの給料袋がまだ残っていました。

炭鉱の島というと「軍艦島」を思い浮かべますが、当時の大島もだいたい同じような状況だったようです。炭鉱ブームの折、この小さな島に2万人近く住んでいたといいますから、かなり賑わっていたのでしょう。多くの人が炭鉱に勤めていたので、島の人口のほとんどが炭鉱関係者だったそうです。今の島の人口は、その4分の1程度。炭鉱ブームはなくなりましたが、いまは造船業に携わっている人が暮らしているようです。

さて、私たちが大島に到着したのは2月5日。あいにくの雨でした。私が住んでいた頃は佐世保港から大島に渡るのに船を使っていましたが、1999年以降、大島大橋が開通し、橋を渡って島に渡れるようになりました。ということで、今回も大島大橋を渡り、まずは寺島へ。そこからまた橋を渡り、大島に入ります。

前述の通り、私には当時の記憶がほとんどありません。しかも半世紀以上前の記憶です。いざ大島の地に立ってみても、どこに行けばいいかわかりません。ただうっすらと「真砂(まさご)」という言葉を知っていたので、それを頼りに真砂町に行ってみることにします。

ここが真砂町です(地図①)。なにも思い出せないまま少し歩いてみると、写真左奥のような家を見つけました。これは「炭住(炭鉱で仕事をしている人が住んでいる住居)」という建物で、当時建てたものかどうかはわかりませんが、かなり年月が経っているようです。近づくと、ふわっと頭の中にイメージが浮かんできました。こんな家の前で遊んでいたような気がします。

「ほかになにか覚えていることは?」と聞かれ、海が見える公園で遊んでいたことを思い出しました。地図を見ると、少し離れたところに海のそばの公園があります。試しに行ってみることにしました。

ここがその公園です(地図②)。もう誰も遊んでいないのか、道から公園に続く道は草が茂っていて人が歩いた痕跡がありません。雨でつるつる滑りそうになりながら公園にたどり着くと、見覚えのある石の東屋がありました。ここで遊んでいたような気がします……が、住んでいたはずの場所から少し離れています。子どもの足でそこまで行くかな?と自信を失いかけましたが、あとで父から聞いた話によると、この近くの保育園に通っていたそうです。だとしたら、保育園から公園まで遊びにいったりしていたのかもしれません。

もうひとつ覚えていたのは、お風呂屋さんに向かう上り坂。どこにあるのかわからなかったので、寺島に戻って観光案内所で教えてもらったのが「中央」(地図③)。案内所でもらった地図を頼りに行ってみると、こんな場所でした。

この道に立った瞬間に「ここだ」と確信しました。この道も風景も覚えてはいませんが、私は確かに昔、ここに来たことがあります。覚えていないのに、覚えている。とても不思議な感覚でした。頭ではなく体に記憶されるってことがあるとしたら、そんな感じです。

坂を上りきった場所には、大きなスーパーがありました。観光案内所の人によると、「昔はボーリング場や映画館があった」とのこと。父に聞くと「映画館にはよく通ったよ」と懐かしそうでした。半世紀前の父は、この道を何度も往復したのでしょう。

あとで父から話を聞くと、ほかにも思い出の場所はいろいろあったようです。たとえばこの地図の左下に小さく見える「蛤」ですが、当時はここに病院があり、結核だった母は長く入院していたそうです。その近くの「大島大釜海岸」で、父がよく釣りをしていたという話もありました。そういえば、徹夜で釣りをしていた父が肺炎を起こして入院した記憶があります。私はとても心配だったけど、母は「なにをばかなことを」と笑い飛ばしていたような。

私のルーツをたどる旅、今回は短い滞在となりましたが、短いなりにいろいろと思うところはありました。小さかった私にとってこの島は世界だったんだろうなあとか、この(潮の)香りが漂うなかに日常があったんだなあとか。当時まだ若かった父母は、初めての子育てや病気の治療に苦労しながらも楽しい日々を過ごしていたようです。大島の話をするとき、いつも二人は笑顔でした。

25年前、母は「新婚のときの大島での暮らしが好きだったから、あのときと同じような環境で老後を過ごしたい」といって天草への移転を決めたそうです。言われてみると、たしかに天草と大島の景色はとてもよく似ていました。ふたりにとって大切な時間がこの島と共にあったということを、身をもって感じることができた旅でした。

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